1月研究会報告 森 章司(2016.1.25)

2016.01.29

 1月22日(金)に平成28年度としては最初の第34回研究会を行いました。森章司、金子芳夫、岩井昌悟、本澤綱夫、石井照彦が出席しました。
 前々回の「研究ニュース」でお伝えしましたように、釈尊伝研究会は調査・研究の段階を終え、所期の目的であった「年表」と「聖典目録(以下「目録」という)」を編集するという新しい1歩を踏み出しました。

 「年表」というのは「釈尊および釈尊教団史年表」(仮題)、「目録」というのは「釈尊年齢にしたがって配列した原始仏教聖典目録」(仮題)のことです。

 「年表」は出胎を誕生日とする釈尊の満年齢によって表わした釈尊の年齢順に、1年を「雨安居前」「雨安居中」「雨安居後」の3つの時季と「この年」「この頃」に分けて、釈尊や仏弟子、釈尊教団の事績を上げ、その事績年代を推定した根拠となった「論文名」や「研究ノート名」を記します。

 また「目録」は「年表」に記載されている年代の事績順に、その事績そのものを叙述する聖典を「当該経」、それとほぼ同じときの事柄を叙述した聖典を「同時経」、その時点から何年か後までの間の事柄を叙述した聖典を「からまで経」、その時点以降の事柄を叙述した聖典名を「以後経」として上げたものです。
 聖典には原始聖典としての「経蔵」と「律蔵」(われわれのいうA文献)と、仏伝経典や注釈書文献など後期の原始聖典(われわれのいうB文献)、そして中国や東南アジアで撰述された文献(われわれのいうC文献)を含みます。

 この「年表」や「目録」をたどっていけば、今まで知られていなかった釈尊の全生涯の事績と釈尊教団の形成発展史の全貌が明らかになるはずです。
 最近『ブッダは実在しない』(島田裕巳著 角川新書 2015.11.10)などというたわけた書物が出版されましたが、われわれの研究を少しでも知ってもらっていたら、こんな戯言は出てこなかったはずです。

 「年表」と「目録」はすでに粗稿ができ上がっていますから、その完成までそう時間はかからないだろうと思っていましたが、今回の研究会でそう簡単ではないことが確認されました。内部資料に止まるものと公刊するものとはたいへんな質の違いがあるからです。
 例えば粗稿版の「目録」でも、DN.=長阿含やMN.=中阿含などの比較的長い経典で、「論文」や「研究ノート」に取り上げていなかったものについては、1つ1つの聖典の説時(「如是我聞一時仏在」の「一時」を特定したもの)も検討してあるのですが、「目録」を公刊するためにはこの検討の結果も事前に公刊しておかなければならないであろうということになりました。
 また内部資料としてなら、パーリ語や外字が正確でなくとも一向に支障はないのですが、公刊するとなるとそうはいきません。
 われわれはFileMaker Pro 9でデータを構築しており、「目録」はこのFileMaker Pro 9で作ったデータをそのまま書き出すことになります。このソフトはたいへん勝れたソフトなのですが、フォントについてはちょっと不便で、ワープロ文書ではきちんと綴られているパーリ語や外字をこれにコピーすると、すべてFileMaker Pro 9で初期設定したフォントに戻ってしまったり、文字化けしたりするのです。このままを公刊することはできませんから、今の時点では12,576件もあるデータの1つ1つについてフォントを点検修正しなければなりません。
 また聖典名の上げ方は原則が徹底されているのですが、地名や人名は必ずしもそうではありません。元の典籍のままのものもありますし、例えば元の典籍では逝多林給孤独園となっているに拘わらずデータでは祇園精舎と通称を使っている場合もあります。公刊する「目録」では、元の典籍に使ってある用語を使うのを原則にすることになりました。したがってパーリ聖典の場合はパーリ語を使うことになります。しかしそれでは1人の人物や1つの地名が何通りにも表されることになります。それらをアイデンティファイさせる手だても必要でしょう。

 「年表」と「目録」を公刊するためには上記のようなかなり膨大な作業を行わなければなりません。どのような方法と手順をとれば手間を省けるか研究することになりました。
 もしフォントの問題について有効な方法をご存知の方があればぜひご教示ください。