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ヴィサーカー ミガーラマーター 優婆夷 東園鹿子母講堂 サーケータ ミガーラ長者  不定法 八つの願い


 Visākhā Migāramātāは、釈尊教団に対して献身的な布施(雨浴衣の布施や八つの願はその典型)をしたことや、給孤独長者の寄進した祇園精舎と並び称される僧院として有名な東園鹿子母講堂(Pubbārāma Migāramātupāsāda)を寄進したことによって、女性の在家信者(優婆夷)の代表的人物として知られる。彼女はAṅga国に生まれ、後にKosala国のSāketaに移住して、Migā長者の息子Puṇṇavaḍḍhanaと結婚し、釈尊教団に対して、上記を初めとするさまざまな貢献をしたとされるが、彼女の出自や事績について知ることによって、釈尊教団形成史を考える上でのさまざまな事項の年代推定に役立ち、仏教伝搬の範囲(アンガ國→サーケータ→舎衛城)や釈尊教団における在家信者の役割等についての知見も得られることが期待される。
 本資料集は上記のような期待を込めて、パ・漢にわたる原始仏教聖典とその注釈書文献から、Visākhā Migāramātāに関する記述のすべてを収集したうえで、下記のような構成のもとに紹介したものである。なおその細かな内容は、上記の目次を参照されたい。

【1】にはパーリの原始聖典と漢訳の阿含および諸律蔵とに対応する記事を掲載した。
【2】には漢訳資料に対応の見出されないパーリの原始聖典のみの記事を掲載した。
【3】には漢訳の阿含、律蔵のみにあって、パーリ語典籍に対応記事のないものを掲載した。
【4】にはパーリのアッタカターの記事と、漢訳の原始聖典以外の諸資料の記事を掲載した。パ・漢の対応はほとんどなく、対応するものの多くはSamantapāsādikāと『善見律毘婆沙』のケースである。
【5】にはパーリのアッタカターのうち、もっとも詳細な伝記を伝えるDhammapada-aṭṭhakathā(DhA.)とAṅguttaranikāya-aṭṭhakathā(AN.-A.)を掲載した。したがってこれ以外のアッタカター記事が【4】である。
【6】にはVisākhāMigāramātāとは直接の関係はないが、参考のために東園鹿子母講堂を仏在処・説処とする経・律名を掲げた。これは本「モノグラフ」の第8号「原始仏教聖典の仏在処・説処一覧 ---コーサラ国篇」の該当箇所の記事を再録した。
 なお、パーリ語資料については訳文とともに原文も掲げた。対照の便を考慮して、段落ごとに訳文を挿入する形をとっている。掲載したパーリ語原文は原則としてPTSの刊本を底本とし、テクストの修正については各刊本の脚注(または巻末注)にあがる異読(ヴァリアント)を参照するにとどめた。漢訳資料は大正新脩大蔵経を底本とする漢文からの読み下しのみを掲げた。なおこれには行数は示さなかった。
 また【5】の「Visākhā Migāramātāの伝記を中心とする記事」においてはDhA.の'visākhāyavatthu'全体を訳出した。AN.-A.にもほぼ同様の記事が見られるため、それとの異同は単語レヴェルのものについては注記し、文章が異なっている場合は原文と訳文を対応箇所の直後に挿入する形をとった。この伝記の中には【1】【2】【4】に対応記事が見出されるものがある。それについては注記によって対応を示した。