[目次]
はじめに
1, 『涅槃経』が遺言の書である証拠
2, 遺言の内容
3, 遺言にもとづいて催された五百結集
まとめ

[論文の概要]
 「まとめ」の部分を若干の修正を施した上で引用する。

 釈尊在世中の「釈尊のサンガ」は釈尊が日々に説かれる「法」や、日々に制定されたり改廃される「律の規定」に基づいて運営されていた。サンガに起きた問題で、自分たちで解決できない場合は、釈尊に伺いを立て、その指示のとおりに処理された。まさしくサンガは釈尊の統括下にあったわけである。
 しかしながら釈尊は死期の近いことを知られて、そこで自分の死後にサンガがなすべきことを遺言しておこうと考えられた。その中心は自分亡き後は自分に指示を仰ぐのではなく、弟子たち自身が「自己を依り処とし、法を依り処とせよ」ということと、「私の説いた法と律があなたたちの師であり」、単純に人の言うことを信じないで「経に引き合わせ、律に照らし合わせるべきである」ということであったといえるであろう。
 そこで残された主な仏弟子たちは釈尊の遺言どおり、「経(法)」と「律」を結集し、これ以降もサンガの中に問題が起き、「経に引き合わせ、律に照らし合わせる」必要が生じた時には、結集を行ってそれを解決することになった。したがって第2結集、第3結集なども先の釈尊の遺言にもとづいて行われたものということができる。
 要するに釈尊の滅後は、釈尊の残された「経(法)」と「律」がサンガの師となり、問題が起こった時には「経に引き合わせ、律に照らし合わせ」て解決したのであり、サンガは釈尊を頼りとするのではなく、「自己を依り処とし、法を依り処として」運営されることになったのであって、ここにおいて「釈尊のサンガ」は釈尊の直接的な指導や管轄を離れて、仏の教えとしての「経」と「律」を依り処とする自主的に運営される「仏教のサンガ」となったといってよいであろう。

 本稿は、奥田聖應先生頌寿記念論集刊行会編の『奥田聖應先生頌寿記念インド学仏教学論集』(佼成出版社 2014年年3月)に掲載されたものを、奥田先生と佼成出版社の許可を得て転載させていただいたものです。記して謝意を呈します。
 なお本稿は編者からいただいた出版物のpdf版をアップさせていただいたもので、形式・ページなど(誤植も含めて)元の出版物と全同です。