本「資料集」は、パーリの原始経典「経蔵」の5部、すなわち Dīgha-nikāya(長部)、Majjhima-nikāya(中部)、Saṃyutta-nikā-ya(相応部)、Aṅgutara-nikāya(増支部)、Khuddaka-nikāya(小部)と「律蔵」の Suttavibhaṅga(経分別)と Khan-dhaka(犍度部)を対象として収集したデータを、以下の7つに整理した資料集によって構成されています。
資料集1:'sayaṃ abhijānāti'資料①:「釈尊の悟り」資料集![]()
資料集2:'sayaṃ abhijānāti'資料②:「仏弟子に対する'sayaṃ abhijānāti'の教え」資料集![]()
資料集3:'sayaṃ abhijānāti'資料③:「'sayaṃ abhijānāti'した仏弟子たち」資料集![]()
資料集4:'yathābhūtaṃ abhijānāti'資料①:「釈尊の覚り」資料集![]()
資料集5:'yathābhūtaṃ pajānāti'資料②:「仏弟子に対する'yathābhūtaṃ pajānā-ti'の教え」資料集![]()
資料集6:'yathābhūtaṃ pajānāti'資料③:「'yathābhūtaṃ pajānāti'した仏弟子たち」資料集![]()
資料集7:仏弟子に対する教えとしての'sayaṃ abhijānāti'と'yathābhūtaṃ pajānā-ti'一体資料集![]()
以上のようにこの「資料集」は7つの資料集からなっていますが、端的にいえば 'sayaṃ abhijānāti'と'yathābhūtaṃ abhijānāti'(仏弟子の場合は'yathābhūtaṃ pajānāti'と表現される)という句が経文中に使われる用例を、「釈尊の悟り」などそれぞれ3つに分類して紹介したものと、'sayaṃ abhijānāti'と'yathābhūtaṃ pajānāti'という句が1つの経文中に同時に使われる用例の合計7つに分類して紹介したものです。
そしてこれらを「如来とブッダ資料集」とよぶのは、'sayaṃ abhijānāti'は〈如来の悟り〉を表し、'yathābhūtaṃ pajānāti'は〈ブッダの覚り〉を表すからです。
なおこのような〈如来の悟り〉〈ブッダの覚り〉という聞きなれない表現を用いるのは、筆者は「如来(tathāgata)」と「ブッダ(buddha)」という語は単なる同意異語ではなく、釈尊は〈如来の悟り〉を得られたが故に「如来」と呼ばれ、〈ブッダの覚り〉を得られたが故に「ブッダ」と呼ばれるという学説を提起しており、さらに釈尊はこれらを仏弟子たちにも、あなたたちも得よと教えられたからです。ちなみに本稿ではこれらの語を使っているわけではありませんが、これら資料を基にした論稿では、筆者は〈如来の悟り〉を得た仏弟子を「如来の弟子」、〈ブッダの覚り〉を得た仏弟子たちを「ブッダの弟子」と呼ぶことにしています。
本資料集はこの基礎データを収集し整理したものだからです。なおこの学説の要旨は、小著『ブッダと如来─釈尊のなかの人間性と永遠性』(2023年12月15日、恒河書房発行)をお読みいただだければ幸いでございます。
ところで原始経典の1つである MN.36 Mahāsaccaka-s.(「薩遮迦大経」)(1)では,釈尊は6年間の苦行によって〈如来の悟り〉を得られたのですが、この苦行では「人法を超えた特殊な最勝智見(uttari- manussadhamma- alamariyañāṇadassanavisesa-)」を得られなかったので苦行を捨て、まさしくその日に菩提樹下での禅定に入られて、その初夜に第1智である宿住隨念智を得られ、中夜に第2智の天眼通を得られ、後夜に苦と漏の四諦をまさしく'yathābhūtaṃ abhijānāti'して解脱知見と「生すでに尽き、梵行は完成し、なすべきことをなし終えて、再びこの世界には戻ってこないと知る」という第3智の漏尽智を得られたとされています。
そして「律蔵」の大品の冒頭(p.1)においては、このシーンに続く次のシーンとして、「そのときブッダ(buddha)・世尊(bhgavant)は初めて現等覚されて、ウルヴェーラーの尼連禅河の辺にある菩提樹下にましまし、ひとたび結跏趺坐されたまま7日の間解脱の楽しみを楽しみを受けつつ坐された」とされていますから、このさとりは〈ブッダの覚り〉の境地だということができます。「世尊」はブッダ釈尊あるいは如来釈尊の呼称です。
これが「如実知見」と訳される〈ブッダの覚り〉で、この語は仏教では普通に使われる言葉ですから殊更に解説する必要はないでしょうが、'sayaṃ abhijānāti'(自然に証知する)はあまり一般的な語句ではないと思いますので、語句簡単に解説させていただきます。
まず'sayaṃ 'という語は、まさしく漢語の「自」に相当する言葉で、「自」という語は「みずから」とも読みますし「おのずから」とも読みます。『広辞苑』で「みずから」を牽いてみると、副詞としての意味は「自分から。自分自身で。」という意味ですが、「おのずから」は「自然に。ひとりでに。おのずと。」という意味が与えられています。簡単に言い換えれば、「みずから」は「自分の力で」という意味になりますが、「おのずから」は「自分の力ではなくひとりでに」という意味になるでしょう。仏教的な用語をもっていえば前者は「自力」に相当しますが、後者は「他力」に相当するとも考えられます。ですから筆者が'sayaṃ abhijānāti'を「自然に証知する」と訳すのは、この智は自力的な智ではなく、他力的な智であると考えていることになります。「自然法爾」という言葉を使えばより意味がはっきりするでしょう。
もっとも「智」というのは意根という感覚器官をもって自覚的に認識することですから、常識的に考えれば自力ということになるでしょう。しかしながら「冷暖自知」という言葉があるように、冷・暖は皮膚感覚に自然に認識されるものといえるでしょう。ここにいう'sayaṃ abhijānāti'もこのような感覚であって、ここでは宗教的な真理・真実を対象としているのですから、'yathābhūtaṃ pajānāti'は真理・真実を智力をもってあるがままに知るという意味であるに対し、'sayaṃ abhijānāti'は真理・真実の方からこれを知らしめてくれるということになります。「知る」を「さとる」という言葉に置き換えれば、'yathābhūtaṃ pajānāti'はまさしく仏教のいう「自力によるさとり」ということになりますが、'sayaṃ abhijānāti'は「他力によるさとり」ということになります。
ところで如来としての釈尊は次のように表現されます。
いま如来は世界に出現している(idha ...... tathāgato loke uppajjati)。① 応供(阿羅漢 arahant)、② 正等覚(sammāsambuddha)、③ 明行足(vijjācaraṇasa-mpanna)、④ 善逝(sugata)、⑤ 世間解(lokavidū)、⑥ 無上士(anuttara)、⑦ 調御丈夫(purisadammasārathi)、⑧ 天人師(sattha devamanussānaṃ)、⑨ブッダ(仏 buddha)、⑩ 世尊(bhagavant)である。
彼はこの天・魔・梵天・沙門婆羅門と共なる世界(so imaṃ lokaṃ sadevakaṃ samārakaṃ sabrahmakaṃ sasamaṇa-sabrāhmaṇaṃ)と天・人の衆生(pajaṃ sadeva-manussaṃ)を自然に証知し(sayaṃ abhiññā = abhijānāti の連続体)、現証して知らしめ(sacchikatvā pavedeti)、彼は初も中も終も善にして、文義共に具足した法を示し(so dhammaṃ deseti ādi-kalyāṇaṃ majjhe-kalyāṇaṃ pariyosāna-kalyāṇa-ṃ sātthaṃ savyañjanaṃ)、完全に円満にして清浄なる梵行を明らかにする(ke-vala-paripuṇṇaṃ parisuddhaṃ brahmacariyaṃ pakāseti)。
という経文です(2)。そして〈如来の悟り〉は'sayaṃ abhijānāti'と表現されているわけです。
そしてこの如来についての定型文は大乗経典においても使われ、例えば『法華経』「序品第1」(3)では、次のように説かれています。
諸の善男子よ、過去の無量、無辺、不可思議なる阿僧祇劫の如し。爾の時に仏有り。日月灯明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号し、正法を演説したもうに、初も善、中も善、後も善にして、其の義深遠、其の語巧妙、純一無雑にして、清白なる梵行之相を具足す。
というようにです。
以上2様の経文の意味するところについての論考は、後日を期そうと考えております。
ところでこれら〈ブッダの覚り〉と〈如来の悟り〉データが「資料集」に収録したように大量に見出されるのは、釈尊が如来、ブッダになられた時の描写だけではなく、釈尊が仏弟子たちにもしばしば「あなたたちも〈如来の悟り〉を得なさい、〈ブッダの覚り〉を得なさい」と教えられているからです。釈尊のこの精神をもっとも象徴的に表すのは、鹿野苑の初転法輪で5人の比丘たちがさとりをえたとき、経典には「このとき世界に6人の阿羅漢(応供)が存在した(tena kho pana samaye-na cha loke arahanto honti)」(4)と記されていることです。6人のうちの1人は釈尊ご自身で、他の5人は初転法輪で最初の説法を聞いてさとりを得た5人であることはいうまでもありません。
そしてこの人数は仏弟子たちがさとりをえるたびにどんどんと増えていきます。パーリ『律蔵』「大品(Mahāvagga)」の「大犍度(Mahākhandhaka)」では、この一連の記述の最後の人数は61人です。要するにこの記述は、釈尊の教えに従ってさとりを得た衆生たちはすべて、釈尊と同じ境地に達したということを表しているわけです。
そしてここに使われている阿羅漢(応供)という言葉は、先ほどご紹介した、釈尊が如来であることを衆生に告げられる定型文に用いられる「如来の十号」の真っ先に掲げられる言葉です。ですから釈尊が仏弟子たちに「阿羅漢になれ」と説かれたのは、まさしくご自分と同じ仏・如来になれと説かれたのであって、けっして二乗、三乗の教えを説かれたわけではないということです。原始経典においては釈尊は「四諦」を如実知見して成仏されたとされているわけですが、本「資料集」をご覧いただければわかりますが、仏弟子たちにもその「四諦」や、この四諦を別の形で表した「無常・苦・非我」や「十二縁起」などの教えを説かれたのです。
しかしながら一方の〈如来の悟り〉は諸法の実相を「如実知見(yathābhūtaṃ pajā-nāti)」することをもって得られるのではなく、「諸仏の常法」を「自然に証知する(sayaṃ abhijānāti)」という、いわば超越的な智慧をもって得るしかないものなので、釈尊はこれについては「それは無記である」として不可思議な形でしか示されませんでした。しかしながら釈尊は仏弟子たちに「あなた方も自然智を得よ」と説かれたことは本資料集をご覧ただければご了解いただけるでしょう。そして釈尊は「如来の世界」は言葉では説明できないし説明すべきでもないと考えられて、これについては無記を貫かれたのでしょう。十無記の「世界は永遠(sassato loko)であるか?」「世界は無辺(anantavā loko)であるか?」の世界は「如来の世界」を指しているわけです。そして釈尊のこの無記という決断が、後の大乗仏教を生んだのだと考える。このように考えれば大乗仏教も釈尊の手のひらの上で生れたということになる。
この釈尊が自然に知られた境地というのは、釈尊が口癖といってもよいくらいにたびたび話された、自分は「諸々のブッダたちが通った道を通ってブッダとなり」(5)、「諸々のブッダたちが悟った真実を悟ってブッダとなり」(6)、「諸々のブッダたちが説いた教えを説き」(7)、「諸々のブッダたちが行った生活のし方によって自分も生活している」(8)という言葉でしょう。この「諸々のブッダたちが説いた教え」の代表の1つは、「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という教えであり,だからこれは「諸仏通誡の偈」(9)と呼ばれるのであり、また他の代表的な教えは四諦の教えであって、だからこれは「諸仏最勝の教え」(10)と呼ばれるのです。ですから釈尊が自然に知られた世界とは「諸仏の常法」を意味するのです。
以上のように釈尊は仏弟子たちに、「あなたたちも〈如来の悟り〉を得よ、〈ブッダの覚り〉を得よ」と説かれ、「資料集3」「資料集6」にご紹介するように、これらのさとりを得た仏弟子たちが何人もいたわけですが、とはいいながら仏弟子たちが「如来」と呼ばれ「ブッダ」と呼ばれることはけっしてありません。仏教には「この世界には同時に複数の如来・ブッダが存在することは理に合わない」という動かし難い理法(11)があるからです。それにもかかわらず釈尊は仏弟子たちに、「あなたたちも私と同様に'sayaṃ abhijānāti'しなさい、'yathābhūtaṃ pajānāti'しなさい」と説かれているのですから、筆者はこれをえた仏弟子たちを「〈如来の悟り〉を得た仏弟子」「〈ブッダの覚り〉を得た仏弟子」と呼んでいるのです。彼らを「如来」とか「ブッダ」とは呼べないからです。しかし「なぜ複数のブッダ・如来が世界に同時に存在しえない」のでしょうか。筆者は別稿においてこの理由を考えてみたいと思っています。『法華経』で成仏の授記を受けた者たちは例外なく別の仏世界を作ってそこで成仏しているし、阿弥陀如来の極楽浄土などがそのヒントです。
そして筆者はこのような学説を証明するために、今までに次のような論文を書きました。
「原始仏教における信と如来の菩提─久遠実成仏とつながる道」(『中央学術研究所紀要』第52号、令和5年11月15日発行)
「釈尊六年苦行の真実を探る」(『中央学術研究所紀要』第53号、令和6年11月15日発行)
「梵天勧請の真実を探る─〈ブッダの覚り〉と〈如来の悟り〉─」(『中央学術研究所紀要』第54号(中央学術研究所、令和8年1月31日発行)
などです。
なお、私たち衆生が、如来・ブッダとなることができないにかかわらず、釈尊が「〈如来の悟り〉を得よ」、「〈ブッダの覚り〉を得よ」と説かれたのは、筆者は〈ブッダの覚り〉を得た者は『法華経』の迹門に説かれる成仏の授記を受けて「誰でもの菩薩」になり、〈如来の悟り〉を得た者は本門に説かれる「地涌の菩薩」となれという教えであると理解しています。原始経典にはこのような菩薩の思想はありませんが、筆者はこのことを『法華経』に教えられたのです。いうまでもなく菩薩(Skt: bodhi-sattva、Pāli: bodhi-satta)は「さとりを有する衆生」という意味の言葉です。
しかしながら以上のことは、本「資料集」を未だ公表できていない段階にありましたので、これらの資料を提示すれば一見してわかっていただけるのにと、切歯扼腕し、隔靴掻痒の感を免れえませんでした。釈尊には〈如来の悟り〉と〈ブッダの覚り〉があることは、本資料集が提示した'sayaṃ abhijānāti'と'yathābhūtaṃ pajānā-ti'という句が紛れのない証拠といえるのではないでしょうか。
ところが本資料集をご覧いただければお判りいただけますように、この資料集はかなり大部のもので、A-4版のパソコン原稿の頁数では150ページを上回りますから逐次刊行物に、これを掲載していただくには分量が多すぎるということがあったからです。としてもたったこれだけをこのままの形で1冊の書籍として刊行することはできませんから、公表する機会を逸し続けていたわけです。ですからこの資料集と既刊の論文に、書き下ろしの論文を加えて一書にして刊行するという企画がすでに進行しているのですが、筆者の老化現象が急速に進んでいて、はたしてこの計画を完遂することができるかという危惧が高まってきた上に、筆者はいま不死は〈如来の悟り〉の境地を表し、涅槃は〈ブッダの覚り〉の境地を表すと捉えたうえで、
「原始仏教経典にみる不死と涅槃」なる論文を執筆中で、この論文は〈如来の悟 り〉と〈ブッダの覚り〉ともろに重なりますから、'sayaṃ abhijānāti'資料と'yathā-bhūtaṃ pajānāti'資料を何とか早くに公開できないかと思い悩み、その結果このような形式を思いついて、今までの研究でもお世話になった中央学術研究所にご無理をお願いして、このような形で公表の夢を実現することができたというわけです。現在企画中の書籍の出版をお引き受けいただいている出版社さんには書き下ろし原稿が少なくなってしまってお詫び申しあげなければなりませんが、これで筆者の数年間の悩みは一気に解決いたしました。中央学術研究所さんに衷心より感謝申しあげます。
註
(1) MN.36 Mahāsaccaka-s.(「薩遮迦大経」vol.I p.245、南伝9 p.428、片山・中部2 p.214)。その他に、MN.85 Bodhirājakumāra-s.(「菩提王子経」vol.Ⅱ p.93、南伝11上 p.125、片山・中部4 p.253)、MN. 100 Saṅgārava-s.(「傷歌邏経」vol.Ⅱ p.212、南伝11上 p.277、片山・中部4 p.541)がある。ただし PTS、南伝では「薩遮迦大経」に同じとして経文は省略されている。しかし片山には全文がきちんと記載されている。
(2) DN.2 Sāmaññaphala-s.(「沙門果経」vol.I p.62、南伝6 p.94、片山・長部1 p.199)、そのほか以下の通りである。
DN.3 Ambaṭṭha-s.(「阿摩昼経」vol.I p.87、南伝6 p.131、片山・長部1 p.238)
DN.4 Soṇadaṇḍa-s.(「種徳経」vol.I p.111、南伝6 p.165、片山・長部1 p.297)
DN.5 Kūṭadanta-s.(「究羅檀頭経」vol.I p.127、南伝6 p.190、片山・長部2 p.24)
DN.6 Mahāli-s.(「摩訶梨経」vol.I p.150、南伝6 p.217、片山・長部2 p.94)
DN.7 Jāliya-s.(「闍利経」vol.I p.159、南伝6 p.229、片山・長部2 p.136)
DN.8 Kassapa sīhanāda-s.(「迦葉師子吼経」vol.I p.171、南伝6 p.246、片山・長部2 p.188)
DN.9 Poṭṭhapāda-s.(「布吒婆楼経」vol.I p.181、南伝6 p.258、片山・長部2 p.223)
DN.10 Subha-s.(「須婆経」vol.I p.206、南伝6 p.294、片山・長部2 p.278)
DN.11 Kevaddha-s.(「堅固経」vol.I p.214、南伝6 p.306、片山・長部2 p.327)
DN.12 Lohicca-s.(「露遮経」vol.I p.224, 232、南伝6 p.318, 328、片山・長部2 p.363, 374)
DN.13 Tevijja-s.(三明経 vol.I p.236, 249、南伝06 p.334, 355、片山・長部2 p.401, 424)
DN.26 Cakkavatti-sīhanāda-s.(「転輪聖王師子吼経」vol.Ⅲ p.76、南伝8 p.93、片山・長部5 p.160)
MN.27 Cūḷahatthipadopama-s.(「象跡喩小経」vol.I p.179、南伝9 p.320、片山・中部2 p.71) MN.38 Mahātaṇhāsaṅkhaya-s.(「愛尽大経」vol.I p.267、南伝9 p.464、片山・中部2 p.258) MN.51 Kandaraka-s.(「カンダラカ大経」vol.I p.344、南伝10 p.94、片山・中部3 p.43)
MN.60 Apaṇṇaka-s.(「無戯論経」vol.I p.412、南伝10 p.201、片山・中部3 p.187)
MN.76 Sandaka-s.(「サンダカ経」vol.I p.521、南伝10 p.371、片山・中部 4 p.48)
MN.79 Cūḷasakuludāyi-s.(「善生優陀夷小経」vol.Ⅱ p.38、南伝11 上 p.49、片山・中部4 p.128) MN.94 Ghoṭamukha-s.(「瞿哆牟伽経」vol.Ⅱ p.162、南伝11 上 p.214、片山・中部4 p.411) MN.101 Devadaha-s.(「天臂経」vol.Ⅱ p.226、南伝11 上 p.294、片山・中部5 p.56)
MN.125 Dantabhūmi-s.(「調御地経」vol.Ⅲ p.134、南伝11 下 p.162、片山・中部5 p.403)
AN.3-60(vol.I p.168、南伝17 p.270)
AN.4-198(vol.Ⅱ p.208、南伝18 p.363)
Itivuttaka 3-84(p.78、南伝23 p.330)
*上に「片山・長部」「片山・中部」としたのは大蔵出版社から1997年以降に刊行された片山一良訳のパーリ仏典第1期「中部」第2期「長部」のことである。
(3) 大正9 p.3下。
(4) Vinaya Mahāvagga(「大犍度」I p.14、南伝3 p.26)。
(5) SN.12-65(vol.Ⅱ p.105、南伝13 p.154)、『雑阿含』287(大正2 p.80下)、『増一阿含』38-4(大正2 p.718中)。
(6) SN.6-2「恭敬」(vol.I p.139、南伝12 p.239、片山・相応部2 p.144)、『雑阿含』1188(大正2 p.321下、国訳・阿含3 p.221)、『別訳雑阿含』101(大正2 p.410上)、DN.14 Mahāpadāna-s.(大本経 vol.Ⅱ p.1、南伝6 p.361)、『長阿含』1「大本経」(大正1 p.3下)、『長阿含』2「遊行経」(大正1 p.19中)、『長阿含』2「阿摩晝経」(大正1 p.88上)、『長阿含』23「究羅檀頭経」(大正1 p.101上)、『長阿含』30「世記経」(大正1 p.136上)。
(7)『雑阿含』287(大正2 80中)、『雑阿含』369(大正2 p.101中)。「縁起とはなにか。生に縁って老死ありというのは、諸々の如来が世に出ても出なくてもこのことわりは定まり、法として定まり、法として確定した互いに縁となる理法である。これを如来は覚った」という言葉もこれを物語ったものと理解できるであろう。SN.12-20(vol.Ⅱ p.25、南伝13 p.36)、『雑阿含』296(大正2 p.84中)、『雑阿 含』299(大正2 p.85中)、『雑阿含』854(大正2 p.217下)。無常・苦・無我についても同様に語られる。AN.3-134(vol.I p.286、南伝17 p.472)。
(8) 大会:Vinaya Pavāraṇakkhandhaka(「自恣犍度」I p.157、南伝3 p.281)、『十誦律』「自恣法」(大正23 p.165上)、同「受具足戒法」(大正23 p.148下)、同「波羅夷4」(大正23 p.11中)、同「尼薩耆30」(大正23 p.60下)、同「波夜提7」(大正23 p.71下)、同「受具足戒法」(大正23 p. 148下, 153上)、同「自恣法」(大正23 p.165上)、同「安居法」(大正23 p.173下) 、同「医薬法」(大正23 p.185上)、同「雑法」(大正23 p.289下)、同「比丘誦」(大正23 p.438下)、『五分律』「波羅夷4」(大正22 p.9上)、同「堕32」(大正22 p.50下)、同「自恣法」(大正22 p.130下)、『根本有部律』「波逸底迦21」(大正23 p.796中)、『根本有部律』「皮革事」(大正23 p. 1052上)、『鼻奈耶』(大正24 p.858中)。cf. DN.16(vol.Ⅱ p.140、南伝7 p.124)、Mahāparinirvāṇasūtra p.388、中村元『遊行経』下(大蔵出版、1985.2)p.667、『大般涅槃経』中(大正1 p.199下)、『長阿含』2「遊行経」(大正1 p.26上)。
挨拶:Vinaya Mahāvagga(「薬犍度」vol.I p.212、南伝3 p.373)、同(「瞻波犍度」vol.I p.313、南伝3 p.546)、同(「瞻波犍度」vol.I p.314、南伝3 p.547)、Vinaya Cullavagga(「羯磨犍度」vol.Ⅱ p.11、南伝4 p.17)、Vinaya Nissaggiya 15(vol.Ⅲ p.230、南伝1 p.389)、『五分律』「布薩法」(大正 22 p.125上)、同「迦絺那衣法」(大正22 p.153上)、『十誦律』「尼薩耆7」(大正23 p.45上)、同「尼薩耆30」(大正23 p.61上)、同「波夜提24」(大正23 p.83上)、同「波夜提25」(大正23 p. 83下)、同「波夜提32」(大正23 p.90上)、同「波夜提59」(大正23 p.109上)、同「波夜提65」(大正23 p.113中)、同「滅諍1」(大正23 p.141下)、同「受具足戒法」(大正23 p.148下, p.153上)、同「皮革法」(大正23 p.181中)、同「迦絺那衣」(大正23 p.206下)、同「瞻波法」(大正 23 p.218中)、同「般茶盧伽法」(大正23 p.224下)、同「雑法」(大正23 p.287上, 290中)、『大沙門百一羯磨法』「伽絺那衣法」(大正23 p.493上)、『根本有部律』「泥薩祇波逸底迦5」(大正p.722下)、『根本有部律・出家事』(大正23 p.1031上)、『根本有部律・羯恥那衣事』(大正p.97中)。
比丘らが食事に招待されている間に僧院内を巡回:『四分律』「捨堕15」(大正22 p.616下)、同「単提87」(大正22 p.694上)、同「衣揵度」(大正22 p.857上)、同「衣揵度」(大正22 p.861中)、『十誦律』「尼薩耆15」(大正23 p.49中, 下)、同「波夜提14」(大正23 p.77上)、同「皮革法」(大正23 p.183下)。
招待食から帰った比丘に満足したかと尋ねる:『十誦律』「波夜提31」(大正23 p.88中, 下)、同「皮革法」(大正23 p.183下)、同「衣法」(大正23 p.205中)、同「倶舎彌法」(大正23 p.215中)、同「雑法」(大正23 p.272下)、同「七百比丘集滅悪法品」(大正23 p.464上)、『根本有部律』「波逸底迦14」(大正23 p.780上)、同「波逸底迦31」(大正23 p.814下)、同「(比丘尼)波逸提 13」(大正23 p.975下)、『根本有部律・尼陀那』(大正24 p.443上)。
罪を犯したどうかの事実確認:『五分律』「波羅夷1」(大正22 p.3中)、同「布薩法」(大正22 p.125中)、『十誦律』「波羅夷1」(大正23 p.1下、148上)、『根本有部律』「僧伽伐尸沙1」(大正23 p.680下)、同「(比丘尼)波羅夷1」(大正23 p.913上)、同「(比丘尼)波羅夷5」(大正23 p. 930上)、『根本有部律・皮革事』(大正23 p.1056中)、AN4-21(vol.Ⅱ p.21、南伝18 p.38)、 Apadāna 3-13-125(p.159、南伝26 p.272)。
(9) Dhammapada 183、『法句経』下(大正4 p.567上)他。
(10) DN.5 Kūṭadanta-s.(vol.I p.148、南伝6 p.215)、DN.14 Mahāpadāna-s.(vol.Ⅱ p.41、南伝6 p.411)、 U-dāna 5-3(p.49、南伝23 p.163)、『中阿含』133「優婆離経」(大正1 p.630下)、『中阿含』 161「梵摩経」(大正1 p.689中)、『中阿含』38「郁伽長者経」(大正1 p.480中)、『増一阿含』18-4(大正2 p.589中)、『増一阿含』23-1(大正2 p.610中)、『増一阿含』24-5(大正2 p.623下)。また「諸仏の常法(仏の常法)」とするものもある。『長阿含』2「遊行経」(大正1 p.19中)、『長 阿含』20「阿摩晝経」(大正1 p.88上)、『長阿含』23「究羅檀頭経」(大正1 p.101上)、『長阿含』 30「世紀経」(大正1 p.136上, 中, 下)、『雑阿含』1178(大正2 p.317下)、『雑阿含』1179(大正2p.319上)、『雑阿含』1323(大正2 p.363中)、『増一阿含』38-4(大正2 p.718中)、『五分律』(大正22 p.110上)、『五分律』(大正22 p.145下)。
また「過去の諸仏も現在の私も業論者であり、行為論者であり、精進論者である」とするものもある。AN.3-135(vol.I p.287、南伝17 p.473)。
(11) パーリの原始経典では、「1つの世界に前でもなく、後でもなく(同時に)2人の応供・正等覚の出現することは理に合わない(aṭṭhānaṃ kho etaṃ anavakāso yaṃ ekissā loka-dhātuyā dve arahanto sammā-sambud-dhā apubbaṃ acarimaṃ uppajjeyyuṃ, n' etaṃ ṭhānaṃ vijjati)」と説かれる。この世界観が仏教全体に共有されていることは、大乗仏教でも釈迦牟尼仏の次のブッダである彌勒仏が世界に出現するのは56億7千万年後であるとされていることに端的に現れている。
なおこの彌勒仏についてはすでに原始経典の1つである DN.26 Cakkavatti-sīhanāda-s.(「轉輪聖王師子吼経」)、漢訳対応経『長阿含』6「転輪聖王修行経」に説かれている。









