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バラモン教、チャンキー婆羅門、タールッカ婆羅門、ポッカラサーティ婆羅門、ジャーヌッソーニ婆羅門、トーデッヤ婆羅門、ヴァーセッタ青年婆羅門、バーラドヴァージャ青年婆羅門、コーサラ国の仏教


 原始仏教聖典には「はなはだ高名にして富裕なる婆羅門(abhiññātā abhiññātā brāhmaṇa-mahāsālā)」とされる婆羅門たちが登場する。チャンキー(Caṇkī)婆羅門、タールッカ(Tārukkha)婆羅門、ポッカラサーティ(Pokkharasāti)婆羅門、ジャーヌッソーニ(Jāṇussoṇi)婆羅門、トーデッヤ(Todeyya)婆羅門の5人である。  本稿はこれら婆羅門たちの事績を調査し、バラモン教が主流であった当時のインドに釈尊の教えがどのように浸透していったかという、その一端を探ってみようとしたものである。  この結論部分を引用すると次のようになる。  コーサラ国はインド旧来の宗教であったバラモン教の勢力の強いところであったが、ここに釈尊の教えが広まることになった最大の功労者は、何といっても舎衛城の大富豪であった給孤独長者である。しかしこの時にはまだ、祇園精舎の建設因縁が物語るように、コーサラ王室の支持を得られていなかった。したがってコーサラ国における最初期の釈尊や仏弟子たちの活動を支えたのは、給孤独長者を筆頭とするそのころインド社会に台頭しつつあった商人階級であったが、それだけで布教の条件が満たされたわけでない。新興宗教であった釈尊の教えが受け入れられる精神的な土壌を作ることが不可欠であった。  そしてその面では婆羅門たちの支持が不可欠であったが、そのきっかけを作ったのは、伝統にこだわらない、進取の気性に富んだ青年婆羅門たちたちであったろうことは推測するに難くない。それが'māṇava'(青年婆羅門)と表現されるヴァーセッタ(Vāseṭṭha)、バーラドヴァージャ(Bhāradvāja)たちであった。  後に仏典の編集者たちに「高名な婆羅門」と記憶される5人の婆羅門たちが釈尊の教えに帰依したり理解を示すようになったのは、この青年婆羅門たちのおかげであったということがいえるであろう。そしてこれら婆羅門たちが釈尊の布教のかなり早い段階で優婆塞となったことが、釈尊の教えがコーサラ国をはじめマドゥラーなど西方ないしはその西北方方面や、南のコーサンビーやさらにそれ以南のデカン高原などに広まるきっかけとなったといえるのではなかろうか。このように考えると、これら青年婆羅門たちは婆羅門社会の影響力が強いインド社会の中で釈尊の教えを布教するにあたっての大きな宗教的地盤を作ったということができる。  5人の婆羅門たちが「高名な婆羅門」として記録されるについては以上のような背景があったものと考えられる。