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サンガ 上首 仏弟子 釈尊教団 cātuddisa-saṃgha sammukhībhūta-saṃgha 善来比丘具足戒 舎利弗・目連 Devadatta


 釈尊を中心にインド各地に散在するすべてのサンガと、それらに所属するすべての比丘・比丘尼を統括するような組織が存在したかというのが筆者の年来の課題であった。提婆達多が譲れと要求し、阿難が釈尊の死後のあり方を心配したサンガはそのようなものであるはずであり、1つ1つのサンガにその権限が委譲されていたとはいうものの、出家授戒によって入団し、波羅夷罪を犯す者が追放されるサンガは、そのようなサンガでなければならないはずであるが、原始仏教聖典にそのようなサンガが存在したという確たる証拠を見いだすことができないからである。
 ところで従来の日本の学界では、そのようなサンガとして「四方サンガ(cātuddisa-saṃgha)」が措定されていた。これは出家修行者が観念的に結ばれた四方(全世界)に広がるサンガを意味すると考えられていたのである。しかしながら筆者は別の論文で、これは「今四方からやってきている、あるいは将来やって来る可能性のある客来比丘(āgantukā bhikkhū)を加えたサンガ」をいうのであって、これは「今まさに羯磨を行うことができる、サンガとして機能しているサンガ」、すなわちこれも日本の従来の学会で呼ばれてきたことばを用いれば「現前サンガ(sammukhībhūta-saṃgha)」の1種であるということを証明した。しかのみならず、少なくともパーリ聖典においては'cātuddisa-saṃgha'や'sammukhībhūta-saṃgha'という術語(technical term)さえ存在しないのであって、常にcAtuddisaとsaMghaという語、ないしはsammukhībhūtaとsaṃghaという語は、関連はしているのであるけれどもそれぞれ独立して用いられているということを述べた。要するに「四方サンガ(cātuddisa-saṃgha)」という概念すら存在しないのであるから、それが1つ1つのサンガとすべての比丘・比丘尼を統括するような組織を意味することはあり得ないということである。そこで他の可能性として、原始仏教聖典の中に現れる「仏を上首とするサンガ(Buddhapamukha bhikkhusaṃgha)」がこれにあたるかもしれないという仮定の元に、これを調査したのが本論文である。
 本論文ではまず初めに'pamukha'ということばが、単に「第1番目」という順序の筆頭に来ることを意味するのみでなく、「導く」「指導する」という意味を込めて用いられている語であることを明らかにし、続いて「仏を上首とするサンガ」と「仏弟子を上首とするサンガ」の用例を調査して、結論として「仏を上首とするサンガ」は「仏弟子を上首とするサンガ」の1特殊形であって、経典の冒頭に「ある時、世尊は500人の比丘からなる大比丘サンガとともに王舎城からナーランダーに至る大道を進んでおられた」(長部第1『梵網経』)というように表されるサンガがこれにあたり、これは釈尊が「善来比丘具足戒」で自らの弟子とされた比丘たちによって構成されていたのであって、したがってこれが全国のサンガや比丘たちを統括するようなサンガではないことを明らかにした。ちなみに「仏弟子を上首とするサンガ」とは、舎利弗や目連、あるいは摩訶迦葉や阿難、プラーナなど仏弟子が指導する、全国に散在する1つ1つのサンガを意味する。
 なお以上の調査を通じて、「仏弟子を上首とするサンガ」は、決して民主的・平等に運営されていたのではなく、それらは上首であるところの「サンガの長老(saṃghatthera)」とか、「サンガの主(saṃghin)」と呼ばれる指導者の指導力が大きな要素を占める組織であったことも明らかになった。

(2012.1.6 修正)