[目次]
はじめに
【1】「現前サンガ」と「四方サンガ」についての一般的理解
【2】パーリ聖典における'sammukhībhūta saṃgha'と'cātuddisa saṃgha'という熟語
【3】パーリ仏典における'sammukhībhūta saṃgha'
【4】パーリ仏典における'cātuddisa saṃgha'
まとめ

[論文の概要]
 本稿は筆者の「釈尊のサンガ」をめぐる4部作中の第2論文にあたる。この概要を第3論文たる【論文13】「『仏を上首とするサンガ』と『仏弟子を上首とするサンガ』」においてまとめてあるので、これを若干修正しながら引用する。

 「第2論文」は、観念的なものとはされていたけれども、「四方サンガ」という言葉が地上に存在するすべての仏弟子たちを統合する「釈尊のサンガ」のようなものをさすと理解されてきたので、これをその対概念として捉えられている「現前サンガ」とともに再検証したものである。
 その結論を端的に要約すれば、厳密には「現前サンガ」の原語とされる'sammukhībhūta-saṃgha'という熟語も、「四方サンガ」の原語とされる'cātuddisa-saṃgha'という熟語も、パーリの原始聖典やアッタカターには存在せず、したがって従来考えられてきたような「現前サンガ」という概念も、「四方サンガ」という概念も存在しない、ということである。
 そして従来は「現前サンガ」は個々のサンガ、「四方サンガ」は時間的にも空間的にも未来や四方に拡大するサンガであって、したがって「サンガ」の意味には2種類があると考えられてきたのであるが、原始聖典において用いられ、「現前サンガ」「四方サンガ」と呼ばれてきた言葉の中に含まれる'saṃgha'は、一つの界(sīmā)に住している4人以上の比丘あるいは比丘尼たちすべてが出席し(委任を与えるべきものは委任を与えて)、何らかの羯磨を行いうる条件にある集団をいうのであって、律蔵におけるサンガには2種類の概念は存在しないということを述べた。
 具体的にいえば、いわゆる「現前サンガ」と呼ばれてきたものは、その集団が今まさに羯磨を行っている状態をいい、いわゆる「四方サンガ」と呼ばれてきたものは、旧住の比丘・比丘尼からなる日常の構成員のほかに、四方からやって来た比丘あるいは比丘尼が加わって、羯磨を行える条件を具えている、あるいは具える可能性のある集団をいうのである。そして後者のようなサンガが想定されなければならないのは、遊行というものが出家修行者に課せられた重要な修行徳目であって、そのためには園林や建物などの寺院の固定資産が、通常その地域で生活している旧住の比丘・比丘尼のみに独占されるのではなく、四方からやって来る客来の比丘・比丘尼にも開放されて、いつでも自由に利用できる権利が保証されていなければならないからである。要するに「四方」という言葉は、「四方に拡大する」という意味ではなく、「四方からここにやって来、またやって来るであろう」という意味であって、サンガはこの園林や精舎がある、限定された「界」にしか成立しえないということである。
 このように今まで理解されてきたような、いわゆる「四方サンガ」と呼ばれてきた概念そのものが存在しないということになり、したがってそれは「釈尊のサンガ」すなわち筆者のいう、釈尊を中心にインド各地に散らばっていたすべての仏教の出家修行者(比丘・比丘尼)たちと、彼らによって形成される各地に散在する1つ1つの「仏弟子たちのサンガ」を統括する「組織的な集団」をさすものではない、ということになる。しかしこの結論がそのまま、いかなる意味でも「釈尊のサンガ」なるものが存在しなかったということを意味することにはならない。なぜなら「第1論文」で指摘したように、「釈尊のサンガ」なるものが存在しなければならない状況証拠は、依然としてそのまま残されるからである。

 なお本稿は、東洋大学文学部発行の『東洋学論叢』第32号(東洋大学文学部紀要 第60集 インド哲学科篇32 平成19年3月30日)に掲載されたものを、発行者の許可を得てここに転載させていただいたものである。記して謝意を呈します。
 なお転載に際してもとの形式が崩れておりますので、引用・参照される場合は元誌をご利用下さい。