仏弟子たちのサンガ

 「仏弟子たちのサンガ」は、「釈尊のサンガ」を構成する全国に散らばっていた1つ1つのサンガのことです。実は単に「サンガ」といえば、普通はこのサンガのことを意味します。原始仏教聖典を解説したところで、「律蔵」の「犍度けんど」をサンガの運営規則を集めたものといいましたが、この「サンガ」もこのサンガのことです。私たちがこれを「仏弟子たちのサンガ」と名づけるのは、この「サンガ」は釈尊の主立った弟子たちを指導者とする比丘や比丘尼たちの集団だからです。そこでこのサンガを「仏弟子たちを上首とするサンガ」とも呼んでいます。
 釈尊は仏になられた後に、ベナレス近郊の鹿野苑で最初の説法(初転法輪)をされ、そのとき61人の悟りを開いた弟子たちができたとされています。釈尊は彼らに「人々のために法を説け、1つの道を2人して行くなかれ」と説かれて、彼らをインド各地に布教に出されました。彼らは最初のうちは仏教にひかれて修行したいと願う人々を釈尊のもとに連れてきて、釈尊がご自分の弟子として出家させておられましたが、弟子たちが広くて暑いインドを行き来するうちに疲れ果てたので、弟子たちに布教先で自分が自分の弟子を取ってよいと許されることになりました。要するに釈尊は弟子たちが自ら指導者となるサンガを形成してよいと許されたのです。「釈尊のサンガ」が中央集権的でないのは、ここに由来するわけです。
 「仏弟子たちのサンガ」はこのような悟りを開いた仏弟子たちを中心としてでき上がった出家修行者たちの集団を基礎としています。後にその運営規則などが制定されて、見事に組織化された集団になりました。「仏弟子たちのサンガ」はこのようにしてでき上がりましたから、その運営はよく言われるように民主的になされていたということはありません。
 「仏を上首とするサンガ」はこの「仏弟子たちのサンガ」の1種で、釈尊に直接指導され、釈尊と起居を共にするサンガのことです。普通経典は「ある時世尊は500人の比丘からなる大比丘サンガと共に王舎城からナーランダーに至る大道を歩まれていた」(DN.第1経)とか、「ある時世尊は王舎城の医師であるジーヴァカのアンバ園に1,250人の比丘からなる大比丘サンガと共に住されていた」(DN.第2経)などというように始まりますが、この「500人の比丘からなる大比丘サンガ」とか「1,250人の比丘からなる大比丘サンガ」のことです。
 「仏弟子たちのサンガ」や「仏を上首とするサンガ」についての詳しいことは、「モノグラフ」第13号に掲載した【論文13】「『仏を上首とするサンガ』と『仏弟子 を上首と するサンガ』」をご参照ください。



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