釈尊のサンガ

 私たち研究グループは、「釈尊の生涯と仏弟子たちの生涯、ならびにそのサンガ(教団)の形成史」を明らかにすると書きました。このサンガがどのようなものであったのかも解説しておく必要があるでしょう。
 サンガの原語はサンスクリット語でもパーリ語でもsaṃghaで、漢訳聖典では「僧伽」と音写され、「僧」と略されることもあります。辞書では「修行者の集まり」「教団」などと解説されています。サンガについては実はまだまだわからないことが多く、そこで私たちの研究でも大きなテーマになっているのですが、現時点では私たちはこれを3種に分けています。「釈尊のサンガ」と「仏を上首とするサンガ」と「仏弟子たちのサンガ」です。
 「釈尊のサンガ」ということばは、当時のインド全域に広まっていた、釈尊を中心に形成されていた出家修行者の組織的な集団を表そうとしたものです。あるいはインド各地に散在していた1つ1つのサンガすなわち「仏弟子たちのサンガ」を統括するようなものといってもよいでしょう。「釈尊教団」といった方がわかりやすいかも知れません。実は、このようなものが存在したかどうかということ自体が問題でしたが、私たちはその存在を証明しえたと考えています。
 それはカトリックの組織が中央集権的なものであったのに対して、よりゆるやかないわばフランチャイズ・チェーン店のような組織であったと考えています。フランチャイズ・チェーン店というのは、いわばセブンイレブンのような組織です。全国にあるセブンイレブンの店舗は、基本的にはそれぞれが独立した小売商店であって、したがって土地も店舗の設備・備品も、資金も人材も、商品の購入・管理なども一切は小売店の責任のもとに行われ、利益も損失もまた小売店のものということになります。しかし加盟料を払って、商品はセブンイレブン系統の仕入れルートによって仕入れ、品揃えやディスプレイ、商品の管理などについてのノウハウを提供してもらっており、ブランドとそのもつノウハウが全国のセブンイレブンをひとつに結びつけあっているわけです。
 「釈尊のサンガ」もこのような組織でした。全国に散在する1つ1つのサンガはそれぞれが独立していて、比丘としての資格を付与(授戒)することも、逆に罪を犯した者の比丘としての資格を剥奪することも、その裁判も、サンガの独立・合併も、財産の取得・処分も、すべて1つ1つのサンガが羯磨という手続きを踏んで、主体的に行いました。釈尊といえどもこの羯磨の結果に容喙することは許されませんでした。
 それでは1つ1つのサンガを「釈尊のサンガ」に結びつけていたものは何かといえば、それは釈尊の説かれた「法(経)」と「律」、特に「律」でした。そしてこの「律」を全国一律のものとして実効あらしめるシステムが用意されてあり、それがすべての出家修行者の義務として課せられた「布薩」「雨安居」という行事であり、「遊行」という習慣でした。
 「釈尊教団の形成史」というのは、このようなシステムがどのような過程を経て、どのように形成されたかということと、その中でどのような比丘たちがどのような役割を果たしたかというようなことを明らかにすることです。また他の宗教の修行者とは異なる、仏教の出家修行者としての独自の生活方法が、どのように整えられていったかということも含みます。
 私たちは釈尊の生涯を明らかにするためには、このような教団史的な背景を伴わなければならないと考えていますし、また生活方法によって検証しなければ本物にはならないと考えています。事績を並べ立てるだけで事足れりとするなら簡単ですが、例えば釈尊が王舎城から舎衛城に遊行されたという記述の背後に、遊行の可能な時期はいつで、どのようなルートを通られて、どういう交通手段をとられ、1日の日程・行程はどのようなもので、だからそれは何日くらいを必要としたかというようなことが明かにならなければ、あるいは釈尊は毎日をどのように暮らしておられたかということがわからなければ、正確な釈尊の伝記を書くなどということはとても不可能であると考えるからです。
 「釈尊のサンガ」についての詳しいことは、「モノグラフ」第13号に掲載した【論文14】「『釈尊のサンガ』論」をご参照ください。



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