仏伝

 私たちは「お釈迦さまの生涯」を研究しようとしているわけですが、経典の中には「仏伝経典」と呼ばれるものがあって、そこでお釈迦さまの一生は明らかになっているのだから、今さらそんなことを研究する必要はないのではないかと、考えられる方もおられるかも知れません。そこでこのことについても一言しておきます。
 仏伝経典と呼ばれるものは、「モノグラフ」第3号に掲載した【資料集3】「仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソード別出典要覧」において紹介してありますように10余に上りますが、それらはすべて釈尊の伝記としてはきわめて不完全なものです。釈尊の生涯の事績のごく一時期しか記しておりませんし、学問的な検証を経たものではないからです。
 これらがごく一時期の事績しか記していないことは、その「付表1」をご覧いただければ一目瞭然です。多くの仏伝経典は舎利弗・目連の帰信ないしは釈尊が出家後初めて生まれ故郷のカピラヴァットゥに帰られたところで終わりますが、これは「律蔵」の受戒犍度という部分に基づいたもので、パーリの「本生経」の最初の部分を構成する「因縁物語(Nidānakathā)」では、それは釈尊が菩提樹下で成道されてから、ちょうど1年目のことであったとされています。
  また一部の仏伝経典はその後に釈尊の入滅が記されますが、これは釈尊の入滅を主題とした「涅槃経」という経典によったものです。「仏所行讚」や、これに対応するサンスクリットで書かれたBuddhacaritaなどはその他にいくつかの釈尊の事績が記されていますが、これは順不同に列記されたものに過ぎず、釈尊の生涯が時系列にしたがって記述されたものではありません。
 もちろん現代の学者もさまざまの釈尊の伝記を著していることは、近々にアップする予定の「釈尊伝研究文献目録」に紹介するとおりですが、上記の範囲を出るものではありません。したがって現代に至ってもなお、釈迦牟尼仏の全生涯を記述した伝記というものは存在しないのです。
 しかしながら原始仏教聖典は、仏となられた釈尊の事績を記した経典を集めたものですから、実はすべてが仏伝データといってよいのです。しかしながら経典には、釈尊が「どこで」「誰に対して」「何を」したかが詳しく記録されているに拘わらず、「いつ」に関しては、常に「如是我聞。一時仏在舎衛国祇樹給孤独園、与大比丘衆千二百五十人倶」などのように始まっていますから、すべてが「ある時」となっているのみで、それがどの時点のことであったのかを示してくれていません。要するに経典は、釈尊がどこで、だれに、何をされたのかは記されているのに、「いつ」だけは記されていないということになります。
 しかしながらたまたま釈尊が悟りを開かれたときの事績や、亡くなるときの様子などは、それがその生涯のどの時点のものであるかがおのずから明らかなので、先に紹介した「仏伝経典」はお手軽にこれを伝記として編集したものに過ぎないのです。
 すなわち原始仏教聖典は、日付の部分のみを失った膨大な釈尊の事績の記録集であるということになります。あるいは日付が分からなくなったたくさんの写真にたとえてもよいでしょう。しかしこの写真には人物はもちろん、その背景も写っていますから、例えば増上寺の脇にテレビ塔が写っていれば、それはテレビ塔が建設された以降のことで、もし同じ場所にテレビ塔が写っていなければ、それはテレビ塔が建設される前のことということがわかります。
 このように1つ1つの経典には、たくさんの情報が記されていますから、これを推理小説の謎を解くように分析していけば、少なくとも時期の前後くらいは分かるはずですし、テレビ塔が何年に完成したかがわかれば、年代を特定することも不可能ではないということになります。そして、これまでの「モノグラフ」に発表してきたように、阿闍世王の即位年や、比丘尼サンガの形成年など、あるいは別の紀要(『印度哲学仏教学』第21号 北海道印度哲学仏教学会 平成18年10月;森章司「コーサラ国波斯匿王と仏教ーその仏教帰信年を中心に」)に発表したように、波斯匿王が仏教に帰信した年など、いくつかのメルクマールになりうる年代は分かってきています。
 このように、原始仏教聖典に登場する人物や、何がなされているか、その背景はどこかなどを手がかりに、聖典をできるだけ時系列にそって並べ替えていくことができれば、釈尊の生涯を再現することはもちろん、釈尊の弟子たち個別の伝記や、どのように釈尊の教団が形成されていったかということが明らかになってくるはずです。例えば摩訶迦葉や、マハーパジャーパティー・ゴータミーなどの伝記などであって、すでにかなりの部分が明らかになっていますから「モノグラフ」をご参照ください。
 おそらく長い仏教学の歴史の中では、このような研究法を思いついた仏教学者は必ずやいたことでしょう。しかしもしこのようなことを思いついたとしても、100枚や200枚の写真ならともかく、1万余の写真の山を見たらしり込みせざるを得なかったでしょう。ところが幸いに時代は、コンピュータという膨大な情報を瞬時に効率よく処理できる道具を与えてくれました。そういう意味では、この研究は時代が可能にしてくれたということになります。そこでこの研究は、数人の研究者が協力して、原始仏教聖典や注釈書文献などから膨大な情報をコンピュータに入力するという作業から始まりました。これは平成4年に始まり、最初の論文が書かれたのが平成11年ですから、データの構築に7年を要したことになります。実は未だにこのデータをより完全なものにするために、日々これを修正しています。この研究が終われば、このデータもアップしたいと考えていますが、果たしていつのことになるでしょうか。



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