原始仏教聖典

 「釈迦仏教」はお釈迦さまが亡くなって100年ほどして、上座部と大衆部という2つの大きな部派に分裂し、この2つからさらにたくさんの部派が分かれました。それ以前を「原始仏教」と呼び、それ以降を「部派仏教」と呼びます。要するに「原始仏教」は「釈迦仏教」のもっとも古い時代をさすことになります。
 ところでお釈迦さまの教えは、それを筆記するという形では伝わらず、しばらくのあいだは口伝えに伝えられました。これが文字として聖典の形にまとめられたのは、お釈迦さまが亡くなってから300年も400年もたった、すでに部派仏教の時代になってからのことでした。これが一般には「原始仏教聖典」と呼ばれているものです。
 といってもこれらは釈迦仏教がすでに部派に分かれてしまってからできたものですから、これらはそれを制作した部派の考え方に染められてしまっているかも知れません。あるいは部派に分かれてしまってはいても、お釈迦さまの説かれた教えを勝手に変えてしまうという恐れ多いことはしなかったかも知れません。そこで学者には「原始仏教聖典」を信頼するか、あるいは信頼しないかという大きな立場の相違が生まれます。
 現在伝えられている「原始仏教聖典」には、スリランカで文字にされた「パーリ語聖典」と、中国にもたらされて漢訳された「漢訳聖典」の、2つの大きな叢書があります。ほかにもチベット語に訳されたものや中央アジアのことばに訳されたものもありますが、断片といってもよいほどの分量しか残されていません。
 確かに「パーリ語聖典」と「漢訳聖典」を重ねてみるとぴったりとは一致しません。したがってお釈迦さまの教えが口伝えに伝えられる間に変容し、部派によって変えられてしまっている部分のあるのは否定できません。しかし私たちのグループは、だから原始仏教聖典の中にはお釈迦さまの教えは含まれていないと判断するよりは、すべてを一応お釈迦さまの教えであるという立場で受け止めるという立場に立って研究しています。これについての厳密な私たちグループの立場は「研究方法」として書いておきましたから、ぜひご覧ください。
 念のために「パーリ語原始仏教聖典」と「漢訳原始仏教聖典」とはどのようなものかを解説しておきましょう。<「パーリ語原始仏教聖典」と「漢訳原始仏教聖典」>



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